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シャンパーニュに初めてブドウの木が現れたのは、遙か昔の古代ローマ時代のことでした。その当時は、シャンパーニュ地方という呼び方は存在せず、12世紀なってから、今日の名称で呼ばれるようになりました。同様に、シャンパーニュワインという言葉も、1493年から使われるようになりました。シャンパーニュ地方で製造されるワインは、品質の良さで常に良い評判を受けていたこともあり、程なく国王や領主にも受け入れられていきました。その評判は、フランス王は全員ランスで戴冠式の行事が行われていたこともあり、さらに広がっていきました。長い間、シャンパーニュ地方では、スティルワインしか製造されていませんでした。
17世紀に、人工的に発砲させたワインを飲むことがイギリスで流行していましたが、これがフランスでも受け入れられるようになりました。そして、この時代から、自然に発砲するワインを作るために、シャンパーニュの人々が発酵条件に注意を払うようになりました。17世紀の終わり頃、修道士・ドン・ペリニヨンがエペルネ近郊にあるオーヴィレール修道院にやってきました。この修道士は、シャンパンの歴史に長く名を残すことになりました。大修道院のワイン販売を拡張するために研究を重ねて、シャンパーニュ地方の異なる地区で収穫された異なる種類のブドウを混ぜ合わせて、ワインの調和とバランスを改良する製法を考案しました。
同様に、葡萄木の作業や高さの改良に専心し、ワイン学に関する前提の基礎を考えました。さらに、瓶にコルクの栓を採用した先駆者でもありました。1735年以来、その姿がシャンパンボトルで見られるようになりました。高い圧力が加わる栓を抑えるために、以前はヒモが使用されていましたが、1760年以降はそれに代わり、鉄のヒモが使用されるようになりました。18世紀中期、修道院のみに与えられていたワインを販売する特権制度が廃止されたことを受け、歴史初のシャンパン会社が設立されました。祝典を催すのが好きな貴族は、この軽くてさわやかな風味のワインを気に入りましたが、そのことが評判となり、イメージを作り上げていきました。
ナポレオンが各国で行った遠征も、シャンパンを外国に広めるのに貢献しました。実際に1870年の時点で、シャンパン総生産量に占めるフランスでの消費量は、わずか25%にすぎませんでした。19世紀になると、製造方法と品質研究の分野で大きな進歩が見られました。それと平行して、商業活動の発展により、ポスター、広告、国際展示館への参加といった、新しい広告媒体を介して本格的にシャンパンの宣伝が行われるようになりました。そして、シャンパンは、エレガンスの象徴、生活を芸術の領域に近づけるアール・ド・ヴィーヴルとしての地位を確立し、常に喜ばしい祝い事の席に欠かせない存在となりました。